収蔵資料
立山信仰用具
立山はわが国の代表的な霊山の一つに数えられ、山岳信仰の一拠点となっていました。
この立山信仰に関する登拝案内の版木や立山曼荼羅など1083点が、
昭和45年(1970)に国の重要民俗資料(現在の重要有形民俗文化財)の指定を受けました。
その後、令和2年(2020)に、160点が追加されて、現在、1243点の資料が指定を受けています。
「立山信仰用具」として体系的に収集された資料は、下記の5つに分類されています。
宿坊生活関係
宿坊を営む立山の芦峅寺と岩峅寺に住した僧徒(※江戸期の史料では「衆徒」、指定書類には「僧徒」とある)や社人らの衣・食・住に関する資料など、宿坊での日常生活を示す資料が整っています。
芦峅寺の宿坊に住した半僧半俗の中宮寺衆徒らは、立山信仰の宗教活動を行うかたわら、山での生産・労働にも従事したといわれてており、これらの資料は山蘇樵関係用具(炭焼・木挽・狩猟の用具)が中心です。
宿坊接待関係
芦峅寺と岩峅寺の宿坊で立山登拝者への接待に用いられた関係資料が整っています。芦峅寺の宿坊では「道者衆」「参連衆」「女人講」「行者」にわけて接待を行った伝承があり、その関係資料が伝えられています。一方で、岩峅寺の宿坊では、芦峅寺のようにわけて接待を行ったという伝承はありません。
登拝装束関係
「衆徒」「中語」「道者衆」「女人講」「参連衆」の立山登拝装束として用いられた関係資料が整っています。「道者衆」の装束はすべて白物が使われ、「参連衆」の装束はすべて黒か紺物が使われているなど、明確に区別されていたことが特徴の一つです。残念ながら、岩峅寺では装束に関する資料はほとんどのこっていません。そのような中で唯一、岩峅寺延命院旧蔵のピッケルのみが追加指定とな りました。
唱導布教関係
芦峅寺の中宮寺僧徒による諸国配札檀那廻りの起源は明らかではありません。しかし、現存資料によって慶長9年(1604)、すでに三河、尾張、美濃などに檀那場を持ち、檀那廻りが行われていたと考えられています。この分類には「立山曼荼羅」をはじめ、祈祷札や護符などの版木が含まれます。
祈祷関係
宿坊の須弥壇、ならびに安置された立山大権現(阿弥陀如来と不動明王)の荘厳(装飾品)等に関する資料が整っています。仏教的な性格を帯びた宿坊は、明治の大変革により一時すべて神職に転じ、近代的な組織改編が加わりましたが、明治時代の中頃から仏教的な活動を再開する宿坊もありました。それゆえに、仏教、神道両方の祈祷用具が伝わっています。また、近代以降の芦峅寺集落では開山者・佐伯有頼の命日に「開山講」を執り行っており、その祭式用具も整っています。
主な信仰用具
立山博物館収蔵資料
とっくり(梅鉢紋入朱塗徳利)
- 時代:
- 江戸時代
- 分類:
- 祈祷関係
法螺貝
- 時代:
- 室町時代
- 分類:
- 祈祷関係
立山大縁起
- 時代:
- 江戸時代
- 分類:
- 祈祷関係
うめばちもん(金糸梅鉢紋)
- 時代:
- 江戸時代
- 分類:
- 祈祷関係
御札
- 分類:
- 唱道布教関係
版木[立山禅定登山案内図]
- 時代:
- 江戸時代
- 分類:
- 唱道布教関係
とっぺざら(大皿)
- 時代:
- 江戸時代
- 分類:
- 宿坊接待関係
百味箪笥
- 時代:
- 江戸時代
- 分類:
- 宿坊生活関係