クタベと出会えたあなたには
疫病から逃れられる
御利益が…

立山には不思議な生き物がいるという話がいくつかあります。
中でも“クタベ”は立山周辺では語られていない説話ですが
江戸時代には多くの人びとに
「疫病除け」として“越中立山のクタベ”が知られていたようでした。

立山ゆかりの霊獣越中立山のクタベ

江戸期、各地に疫病流行の予言を伝える不思議な妖怪が出現します。越中立山でも、薬種を堀に来た者の前に現れたクタベが疫病流行を予言し、「自身(クタベ)の姿を見れば、その病の難を逃れることができる」と語ります。そして、見ることができない人々のために、「自身の絵を描いて知らせなさい」と伝えます。“越中立山のクタベ”の、この話を書いた刷物などが残っており、「顔は人、体は獣」というクタベの姿も描かれています。

“越中立山のクタベ”はいつ頃の話?

当時流行した話などをまとめた、江戸期の随筆にも“クタベ”のことが紹介されています。
『虚実無尽蔵』(国立国会図書館蔵)からは文政10年(1827)の冬に諸国で流行していたことが、高力猿猴菴の日記の写しとみられる『寛政文政間日記』坤(国立国会図書館蔵)からは文政11年(1828)4月に絵図が流行っていたことがわかります。これらのことから考えると、“越中立山のクタベ”は文政10年(1827)冬から文政11年(1828)春ごろにかけて流行していたようです。

『奇態流行史』(宮武外骨編集兼発行・半狂堂、当館蔵)の「悪病除けの人獣絵」
宮武外骨が古来の奇態な流行を集めて編集したもの。江戸時代の随筆『虚実無尽蔵(叢)』を引用して紹介している。

“越中立山のクタベ”の効力は絶大!?

江戸時代の随筆で、大郷信斎が文政8年(1825)から天保元年(1830)までの、見聞きして面白いと思った話や事柄を虚実を問わず記録した『道聴塗説』(国立国会図書館蔵)にも紹介されています。
「クタベ」ではなく「クダベ」と記し、「扁鵲」や「倉公」といった名医でも術を失う病において、自身の肖像をみればその災難を免れると告げたとしています。
しかし、大郷はこの話を近年流行している神社姫(予言獣の仲間で、2本の角を生やして長い髪を持ち、尻尾は3本の剣となっている人面魚)の類だとし、「物好きな人が言い出した戯作(読み物)」と考えていたようです。

「道聴塗説」(『鼠璞十種』第二所収・図書刊行会、当館蔵)の「流行クダベ」

“越中立山のクタベ”は
なぜ立山に現れた?

“越中立山のクタベ”の話は、立山信仰を布教した衆徒たちの遺物をはじめ、立山を訪れた人々の日記にも記されていません。つまり、立山周辺では語られておらず、“立山に伝わるクタベ”ではなく、“立山に住むクタベ”なのです。
他の疫病流行を伝える妖怪の話とともに、疫病の不安があった都市部の人々を中心に語られ、“越中立山のクタベ”も生まれたと考えられます。そこには立山の薬草の知識の広がりや富山売薬の活躍などもあり、江戸期の立山に期待した人々が“不思議な霊獣・クタベが住んでいてもおかしくない山=神秘的な山”と認識していたからともみられます。

立山博物館で会える“クタベ”

『奇態流行史』の挿絵より製作した、立山博物館オリジナルキャラクターの“クタベ”。
立山博物館展示館のエントランスで皆さまのご来館をお待ちしています。ぜひ会いにきてくださいね。一緒に撮影もできます。

越中立山のクタベについては、こちらの書籍で詳しく解説してあります。

  • 令和元年前期特別企画展『立山ふしぎ大発見!?』展示解説書

  • 『研究紀要』第27号・令和3年(2021)3月刊「疫病流行を告げる『クタベ』と越中立山に現れた理由」