施設紹介

聖界ゾーン

大型3面マルチスクリーン&
体験型映像ホール

遙望館

Yobo-kan

有料

遙望館は、体験型の映像ホールです。
ここでは大型3面マルチスクリーンと音響装置によって
観覧者に臨場感あふれる立山の自然と、立山曼荼羅の世界を疑似体験していただけます。
上映後には、立山連峰を望むクライマックスが…

※冬季は一部演出が異なりますのでご了承ください。

上映開始時間(上映時間40分)

  • 10:00
  • 11:00
  • 13:00
  • 14:00
  • 15:00

上映映像:新立山曼荼羅絵図/風 立山1990

3面マルチの大型スクリーン

横15m×縦4.2mの大型スクリーンと音響装置によって、立山の信仰と、立山の自然をテーマとした映像作品2本を広々としたホールでご覧いただけます。

36畳の畳

映像ホールの中央には、36畳の畳が客席としてもうけられています。かつてのうば堂の雰囲気を彷彿させ、映像が上映されるとあたかもうば堂の障壁画を見ているような観を呈しています。

布橋

Nunobashi

布橋の由来

閻魔堂から明念坂を下りた所に姥谷川があり、この川に架かる橋を「天の浮橋」と呼びました。橋の仕様は、敷板の数108枚(煩悩の数)や擬宝珠6つ(南無阿弥陀仏の六字名号)など、仏教思想に基づく数字に合わせて造られており、渡った人々の罪が消滅すると考えられていました。また、女性の立山登拝が許されなかった江戸時代、秋の彼岸の中日に行われた「布橋灌頂会」の橋渡りの儀式の時に白い布が敷かれたことから「布橋」とも呼ばれ、布橋灌頂会が認知されるにつれ、一般的な名称になりました。閻魔堂側を「この世」、うば堂側を「あの世」と捉え、両岸に架かる橋を境界と考えたのです。

布橋灌頂会

江戸時代、生前自らが積み上げた罪によって、死後、地獄に堕ちると信じられていました。この不安から逃れるために、男性の間で罪滅ぼしを目的とする「立山禅定登拝」が盛んになりました。一方、女性は死後必ず地獄に堕ちるとされ、立山への登拝も許されていませんでした。極楽往生を願う女性たちを救うため、閻魔堂・布橋・うば堂を舞台に行われたのが「布橋灌頂会」(布橋大灌頂)です。明治期になると、神仏分離や女人禁制が廃止された影響もあり、布橋灌頂会も行われなくなりました。平成8年(1996)に現代的なイベントして復元され、近年は3年に一度、開催されています。

うば堂基壇

Ubado-kidan

うば堂

かつてうば堂は閻魔堂とともに、芦峅寺にあった中宮寺の中心となる堂舎でした。その中には、うば尊(芦峅寺ではおんばさまと呼ぶ)が本尊として3体、脇立として66体祀られていました。ですが、明治初期の廃仏毀釈に伴いうば堂は破却されてしまい、以後再建されることはありませんでした。現在は、跡地と言われている場所にうば堂基壇だけが残っています。

多目的広場

うば堂基壇に隣接して、多目的広場があります。晴天時は、こちらでお弁当をとったり、休憩スペースとしたりしてご利用いただけます。

閻魔堂

Enmado

木造閻魔王坐像

閻魔堂中央に、鎌倉時代制作とみられる、像高163.0cmの木造閻魔王坐像が安置されています。
閻魔王は地獄やあの世の主で、死者の生前の行いから罪を裁き、死後の行き先を決めると信じられていました。言い伝えでは、10人の王の裁きを受けるという十王信仰に基づき、閻魔王像だけでなく、十王の一部の像が祀られていたと言われてきましたが、立山では閻魔王・五道転輪王・泰山王と書記官である司命・司録が並ぶ「五尊形式」であったと考えられます。これまで「初江王坐像」とされた像は「五道転輪王坐像」となり、司録像は現存していませんが、木造泰山王坐像と木造司命半跏像とともに閻魔堂に安置されています。(富山県指定有形民俗文化財)

明念坂

閻魔堂から布橋へ至る坂を「明念坂」と呼び、文政8年(1825)に整備されたとみられています。現在、明念坂には、真言僧・龍淵が文政13年(1830)に建てた種字石碑や貞享2年(1685)7月の銘が刻まれた六地蔵、天保4年(1833)8月の「霊場巡拝供養塔」の他に、寄進された地蔵菩薩像や観音菩薩像などの石仏が集められて安置されています。