施設紹介
立山信仰の舞台
立山信仰の舞台
長い歴史の中で育まれてきた立山の自然環境は、
「立山の自然=立山信仰の舞台」としての道具立てを少しずつ整えてきました。
ここでは、立山の自然を、生活を支えた産業の場、信仰を生んだ特異な景観の、
2つの観点からとらえ、それぞれと深いかかわりを持つ、
代表的な立山の植生や地形を紹介しています。
富山の山懐深く、夏には緑豊かな葉を繁らせ、秋には紅葉して葉を落とし、冬の間は裸のままじっと春の訪れを待つ樹々がつくる森。このような森を冷温帯落葉広葉樹林と呼びますが、立山でその森を代表する樹木がブナです。
ブナの森は、驚くほど多くの水を蓄える隠された湖ともいわれ、様々な植物や動物の営みを育み、かつて、立山山麓に暮らす人々はその衣食住のほとんどをブナの森に求めたといいます。このように、ブナの森は、肥沃な大地を育み人間にも恩恵をもたらすという、2つの意味で豊かな森だといえます。
ここ立山では、約1万年前からブナの森が発達し始め、縄文時代以降現在に至るまで、様々な形で人々の生活と密接に関わってきました。
立山に降る多くの雨や雪が山肌を削り、大量に生み出された土砂は、常願寺川の流れによって下流に運ばれ、扇状地をつくりました。そこでできた砂礫層は、水持ちが悪く水田に不向きなため、富山県では長きにわたり大掛かりな農地開拓を迫られました。また、山と扇状地を仲立ちしてきた常願寺川は、3000m級の高山が連なる立山連邦から富山湾へ、50km余りを一気に流れ下りる日本屈指の急流河川で、源流部に崩壊しやすい立山カルデラを持ち、付近に地震を引き起こす活断層があることから、たびたび崩壊による大洪水を招き、下流に大きな被害を与えてきました。
このような厳しい環境条件にも関わらず、人々は様々な方法でこれを克服し、豊富な水を農・工業用水、飲料水、発電に利用して、この地を豊かな生産の場へと変えていきました。
古くから霊山として信仰を集めた立山。しかし、立山のルーツは人類誕生の遥か数億年も以前にさかのぼることができます。立山のほとんどを占める飛騨変成岩は、他の日本列島をつくる岩石とはまったく違い、大陸を構成する岩石として発達してきました。これは、地下深くで起こったできごとです。ところが、およそ80万年前、立山一帯は急激にせり上がり始め、現在の地形の原型が作られます。やがて13万年前から現在まで火山活動が続き、弥陀ヶ原・美女平の火砕流台地、みくりが池などの爆裂火口、硫気・温泉活動を続ける地獄谷などがつくられます。さらに、雨・雪による浸食、氷河の作用、断層運動、いずれもが立山に特異な景観を与えました。
立山の山中に展開する非日常的な風景は人々の心をとらえ、様々な言い伝えを生みました。その代表が、地獄谷と餓鬼の田圃です。
地獄谷、みくりが池、血の池などは、立山火山の爆裂火口です。その特異な風景は、地獄の様子に見立てられ、古く「立山地獄」の思想が生まれました。
また、弥陀ヶ原台地の上には、その数、数千ともいわれる池塘が点在し、一万年の歴史を秘めた黒い土の上にミズゴケが田の畔のごとく水を支え、稲穂のように水面から生えるミヤマホタルイがさながら早苗田のような景観を展開します。この生き物たちのつくりあげた風景は、やがて信仰と結びつけて解釈されるようになっていきました。