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1300年の立山信仰
立山曼荼羅 絵解き解説
刊行物
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◎研究紀要全文
目次
【研究余録2】説話文学にみる片袖幽霊譚の変遷について―近世の説話を中心として―:奥澤真一郎
『大日本本草』の特徴的記述について―「応用」、「雑記」を中心に―:吉野俊哉
新出の「立山曼荼羅」からみる立山信仰の一考察:細木ひとみ
<研究ノート>地域に根差した博学連携を目指して―教科書単元・「総合的な学習の時間」年間指導計画を意識した地域の小学校への広報活動―:石﨑康弘
奥付
【研究余録】立山に関する文学作品からみる時代相・思想の変容について:奥澤真一郎
南砺市旧福光町松村家所蔵の「『大日本本草』草稿」について:吉野俊哉
うば*尊像の像容と座法 -立膝を中心に-:坂口舞 *「うば」=「女」へんに「畾」
寄贈資料・新湊放生津町の矢疵阿弥陀如来像について:細木ひとみ
令和4年度後期特別企画展「立山のお地蔵さま -苦しみに寄りそう-」を終えて -来館者との対話から-:石﨑康弘
木戸幸一の立山登山 -旧侯爵家木戸家資料「明治四十四年_當用日記」に見る明治末期の登山-:岡田知己
近世後期の立山における宿坊経営と戸銭収益 -岩峅寺衆徒の収益をめぐって-:高野靖彦
ニホンライチョウの巣の標本製作について:鈴木博喬
海保青陵の立山資源開発提言に見える本草学との関わり -津田随分斎を中心に、本草家を介した情報交流の視点から-:吉野俊哉
立山芦峅寺の「佐伯武平」と両澤山大慶院(新潟県十日町市)-芦峅寺のうば*尊と大慶院の大日姥婆尊の関係をめぐって-:細木ひとみ *「うば」=「女」へんに「畾」
〈研究ノート〉立山曼荼羅における地蔵菩薩の図像について -立山山中の賽の河原・地獄谷を中心に-:石﨑康弘
中世の飢饉と立山信仰 -寛正大飢饉の影響-:城岡朋洋
立山温泉の経営をめぐって:高野靖彦
嘉永4年の立山採薬で山本渓山が作製した腊葉について:吉野俊哉
現代の「立山観」に関する一考察 -企画展「立山があるある展」アンケートより-:森山義和
疫病流行を告げる「クタベ」と越中立山に現れた理由:細木ひとみ
立山芦峅寺、岩峅寺の宿坊が所蔵した「誕生石」について -近世本草学での弄石と「神代石」の認識をもとにして-:吉野俊哉
富山県内小・中・高等学校の校歌における「立山」に関する一考察:森山義和
「立山信仰用具」覚書 -活用と課題-:加藤基樹
立山の天狗伝説と岩峅寺中道坊の「天狗様」:細木ひとみ
[史料紹介]立山保勝会の設立について -大正期における立山登山環境整備の一齣-:高野靖彦
旧立山炭鉱坑道入口銘板と、かつて芦峅寺に存在した炭鉱をめぐる覚書:吉野俊哉
加賀藩と富山藩の神仏分離に関する一考察:森山義和
近世立山信仰における勧進戦略の転向 -六十六部納経と芦峅寺衆徒を中心に-:加藤基樹
江戸時代の芦峅寺・娼尊信仰の一考察 -安産・子育て信仰を言わない理由-:細木ひとみ
皇族の立山登山の嚆矢 -大正8年(1919)、東久邇宮稔彦王の立山登山について-:岡田知巳
立山芦峅寺のうば*尊と西正院大姥堂(長野県大町市)の大姥尊伝承:細木ひとみ *「うば」=「女」へんに「畾」
立山における地獄信仰(2):多賀康晴
立山権現「矢疵阿弥陀如来」の史料的考察 -立山信仰と生身仏身仰-:加藤基樹
「布橋灌頂会」研究の方法一関係史料にみる観念的・実態的:加藤基樹
立山信仰登山集落における旅行者受入体制:高野靖彦
立山信仰における地蔵信仰:多賀康晴
【史料紹介】善道坊史料『諸道具調帳』について:松宮加奈
辻徳法寺蔵「鉄造阿弥陀如来坐像」と立山信仰 -「立山信仰の中世」研究の視座を開く-:加藤基樹
家持の立山観:城岡朋洋
天正期能登国における芦峅寺等覚坊の檀那場形成:高野靖彦
近現代における芦峅寺一山の活動:多賀康晴
近代後期の立山参詣記録にみる名所意識:高木三郎
近世における立山名所の形成に関する試論:高野靖彦
明治期の全国的な宝物調査と旧越中国内の宝物について -東京国立博物館蔵資料の調査を中心に-:吉野俊哉
『立山登山設備案』に関する動き -佐伯茂治と大町桂月との関係をとおして-:奥澤真一郎
「三禅定」の思想研究に向けて -尾張知多『西方四十八願所縁起』をめぐって-:加藤基樹
近世における芦峅寺の「境界認識」について:米原寛
立山芦峅寺由来書:野口安嗣
芦峅寺宿坊家が東海道筋に形成した檀那場 -特に駿河国と横浜の事例をとりあげて-:福江充
文学に現れた「立山」 -『金草鞋』と「諸国名山往来」-:奥澤真一郎
立山曼荼羅は何を伝えようとしたか -宗教的機能と思想的背景-:加藤基樹
明治初期の博覧会などに出展されていた越中・立山の天産物について -近世本草学から近代博物学、物産学への過渡期の実態を中心に-:吉野俊哉
【研究余滴】「立山曼荼羅」に内在する「立山信仰」の基層を考える:米原寛
越中立山芦峅寺の由緒書・縁起・勧進記と木版立山登山案内図・立山曼荼羅:福江充
江戸時代の立山参詣の費用:野口安嗣
明治維新における立山登拝と「立山信仰」 -登拝者の実態に見る民衆信仰史の一齣-:加藤基樹
採薬使植村政勝の越中、立山来訪について -松儀家文書「享保十六年 薬草一巻」の記述を加えて-:吉野俊哉
加賀藩の宗教政策と芦峅寺・岩峅寺:米原寛
成巽閣所蔵の立山岩峅寺史料:野口安嗣
越中での幕命採薬使受け入れの実態について -「享保七年新川郡薬草御用ー巻覚留帳」を中心に-:吉野俊哉
立山曼荼羅の絵解き再考 -芦峅寺宝泉坊衆徒泰音の「知」と御絵伝(立山曼荼羅)招請に着眼して-:福江充
『狂歌百物語』にみる江戸時代後期の立山観:奥澤真一郎
中世「三禅定」覚書 -三禅定研究のゆくえ-:加藤基樹
検証「立山開山」について:米原寛
岩峅寺衆徒の身分支配:野口安嗣
芦峅寺宿坊家の尾張国檀那場と三禅定(富士山・立山・白山)関係史料:福江充
「三禅定」考 -成立と『三の山巡』にみる実態-:加藤基樹
文学にみる古代・中世の地獄思想と立山:米原寛
近世中期における立山来迎信仰に関する覚書 -新出史料『立山来迎仏』(金沢妙慶寺蔵)をめぐって-:加藤基樹
越中加賀藩領における薬草の採取と流通についての一考察 -「売薬々方明細并巧能書」及び産物調査書・産物関係留書の記述から-:嘉藤潤一
芦峅寺宝泉坊の江戸での檀那場形成と「立山信仰」の展開(2) -江戸時代後期の江戸城大奥及び諸大名家をめぐる立山信仰-:福江充
芦峅寺宝泉坊の江戸での檀那場形成と「立山信仰」の展開(1):福江充
博物館と学校教育との連携IV -「総合的な学習の時間」等における出前講座の実践報告-:岡田知己
「剣岳信仰」をめぐる若干の考察:米原寛
立山地獄谷の“硫黄の溶岩”について:寺島禎一(立山博物館)
立山曼荼羅の成立過程に関する一考察 -木版立山登山案内図から立山曼荼羅への展開-:福江充
佐々成政の「ザラザラ越え」考:米原寛
〈研究ノート〉大正登山ブーム到来への過渡期における立山の登山環境について -大井冷光の見た「立山登山」をとりまく状況-:高岡陽一
富山市粟巣野東方の赤鉄鉱について:寺島禎一
江戸時代中期の芦峅寺系立山曼荼羅と布橋儀式(のちの布橋大灌頂法会):福江充
岩峅寺・芦峅寺の争論とその歴史的要因:米原寛
高等女学校における立山登山の歴史:高木三郎
富山県中新川郡立山町芦峅寺北方不動平“称名滝火砕流”堆積物中の黒色球状物質について:寺島禎一・中村紀裕
旧制中学校における立山登山の歴史:高木三郎
立山ゆかりの寺院の出開帳:野口安嗣
芦峅寺のうば*尊(オンバサマ)とお召し替え行事:福江充 *「うば」=「女」へんに「畾」
学校教育における立山登山の歴史 -小学校を主として-:高木三郎
立山衆徒の出開帳:野口安嗣
芦峅寺教算坊が大坂で形成した檀那場と立山曼荼羅:福江充
宗教村落芦峅寺の「村」としての性格 -税負担の面から-:米原寛
富士山・立山・白山の三山禅定と芦峅寺宿坊家の檀那場形成過程:福江充
岩峅寺衆徒の出開帳:野口安嗣
新川郡における「山廻役」と「奥山廻リ」についての一考察:米原寛
芦峅寺一山衆徒の加賀藩主に対する年頭御礼について:福江充
嘉永6年の「富山藩薬品会」開催とその出展品 -越中での博物的本薬学受容の視点から-:吉野俊哉
近世最初期における前田氏の諸大寺対策:米原寛
信濃国の立山信仰 -芦峅寺衆徒が江戸時代後期以降に信濃国で形成していた檀那場について-:福江充
幕末期の「物産会」に見る物と人の交流 -京都・大坂の「物産会」に出展された越中・立山での採集品から-:吉野俊哉
大山町の牧(まき)に関する地名一考:中葉博文
芦峅寺うば尊の性格とうば尊像造立の背景 -山姥の伝承から-:米原寛
立山曼荼羅の図像描写に対する基礎的研究 -く特に諸本の分類について〉-:福江充
立山を訪れた器府派造採薬使 -享保7年、16年の薬草見分に関する『為覚通聞記』の記述から-:吉野俊哉
越中立山の地名私考(1) -立山連邦域における「野」「原」「平」の付く地名緒論-:中葉博文
幕末期江戸の立山信仰 -芦峅寺宝泉坊の江戸の檀那場と廻檀配札活動の実態-:福江充
享保7年立山・黒部奥山での幕府採薬使による薬草見分について:吉野俊哉
称名滝の後退速度 -称名川、真川、常願寺川の侵食率-:藤井昭二・金子一夫
立山開山縁起に関する覚書 -放鷹の性格を中心に-:木本秀樹
江戸時代幕末期芦峅寺宿坊家間の檀那場をめぐる争いについて:福江充
立山関係史料にみえる「近江国」 -近江国・越中国・立山-:木本秀樹
博物館と学校教育との連携III -『見学の手引き』作成を通して-:青木正邦
富山県中新川郡立山町で見つかった高度540~570mに分布する赤色古土壌と高位礫層:金子一夫・藤井昭二
近世幕末期の江戸における立山信仰 -越中立山山麓芦峅寺衆徒の江戸の檀那場での廻檀配札活動-:福江充
立山信仰関係用語用字覚書(一) -「峅」と「うば」-:木本秀樹
博物館における広報活動 -立山博物館の現状と課題-:青木正邦
中新統黒瀬谷層(富山県)のGeloina-Telsescopium群集とArcid-Potamid群集の生息環境:金子一夫
神仏分離と立山講社:米原寛
立山講社の活動 -近代化のなかでの模索-:福江充
『伊呂波字類抄』十巻本収載「立山大菩薩」釈文 -「立山開山緑起」生成過程に関する予備的考察-:木本秀樹
博物館と学校教育との連携II:青木正邦
中新統黒瀬谷層(富山県)のGeloina-Telescopium群集とArcid-Potamid群集について:金子一夫
富山県中新川郡立山町芦絣寺で発見された地すべりの発生年代を示す材化石:金子一夫
近世後期における芦絣寺系立山曼荼羅の制作過程についての一試論:福江充
立山室堂について -廷造物の視点から-:米原寛
「立山開山縁起」にみえる布施院について -その史料的解釈に関する覚書-:木本秀樹
博物館と学校教育との連携 -ジュニアワークシートを利用した小学校の実践を通して-:青木正邦
富山県立山町に分布する黒瀬谷層栃津砂岩泥岩互層より産する貝類化石について:金子一夫
『立山曼荼羅[坪井竜童氏本]』について:福江充
越中国雄山神社の神階奉授 -立山開山の時期に関連して-:木本秀樹
芦峅寺門前地の形態 -宗教村落芦峅寺の場合-:米原寛
立山博物館の映像展示システムのハードウェアについて:薬師正人